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道南の景勝大沼公園は紅葉の終盤を迎え、真っ赤なナナカマドをはじめとして楢・楓種の広葉樹が鮮やかな色彩の饗宴をくりひろげていた。
安芸の宮島、丹後の天橋立、陸奥(みちのく)松島が「日本三景」なら、ここ道南の大沼公園は、駿河の三保の松原、大分の耶馬溪とならんで「新日本三景」に列せられ、国定公園の指定も受けている。
湖沼の成因は秀峰・駒ケ岳の噴火により河川が堰き止められたという説が有力である。数万年前の話で、もちろんだれも見た人はいない。
<七飯町>
大沼公園は北海道亀田郡七飯町に属する。難しい読み方で、「ななえ」と読むが、その歴史を紐解くと明治35年に七重村と飯田村が合併することで、この奇妙な漢字組合せの地名が誕生した。
まだ江戸時代末期の1854年、箱館の開港にともない隣接する七飯村は、外国人の遊歩地区に指定されると、景勝大沼を訪れる外国人は飛躍的に増え、現代風にいえば別荘地区として発展する。きっと七飯の人たちは紅毛碧眼の外国人の襲来を恐ろしく思ったに違いない。しかし明治初期には、小松宮、有栖川宮などのほか、ドイツの皇帝やイタリアの皇族など、王侯貴族がこの湖で遊んだというから、「世界の中の日本」を意識した最初の近代・日本人ということもいえるのではなかろうか。
明治
14年には明治天皇が行幸し大沼の知名度は一躍高まることになった。
・・・時代は明治12年に逆戻りするが、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」に当時の記述がある。
「わたしはさびしい湖の上にほとんど突き出して造られた家の二階から外に身体を出して座っている。湖は沈んでゆく夕日の中で森の茂った岬を紫色にし、静かな影の色を深めている。多くの男たちが近くの山腹から、槍で倒したばかりの熊の死骸を引摺り下ろしている。村というものはなく、忙しそうな蝉の鳴き声や、森を通る風の音だけが、この静かな夕方の空中に漂っている音のすべてである。夕陽の色は桃色と緑色である。彩られた水面には、大きな睡蓮が青白い花のガクを横たえている。森の茂った山々の上に、駒ケ岳火山の鋭くぎざぎざの、ほとんど裸の山頂が夕日に赤く映えている。・・・
北海道は日本の人々にとって、荒涼たる土地、未知の国、人跡稀なる地方と考えられている。・・・」
わたしたちも、畏れ多くも、明治天皇が行幸したというその道を行く。

函館の市街地を抜け国道5号線を大沼公園に向かってすこし走らせると、東海道53次のような立派な松並木が現れた。
(えっ、なんで北海道に松並木?似合わない!ポプラだったら納得するのに・・・?)と不似合いの街道の並木を見てわたしは、おおいに不満であった。
<薩摩の黒田清隆>
七飯の松並木は明治10年前後に、先に述べた明治天皇の七飯行幸を記念して、北海道開拓使長官の黒田清隆の指示によって植えられたという。米が取れないという引け目をもった当時の北海道人は、環境だけでもなるべく本土に似せたいという強い思いがあったから、その願いを黒田が聞き入れたということではなかろうか・・・。
赤松と書いてあるからにはマツタケが出るのではないかとも思ったが、この排気ガスのr下では何がマツタケか。
さて黒田のこと。薩摩出身の黒田は戊辰戦争で、五稜郭の戦いに参謀として参加して、他の薩摩武士と並んでそれなりの武勲を挙げた。その後官界にはいり明治政府の北海道開発を担当することになる。
かれはアメリカの農務長官ケプロンを期限付きで招聘し、アメリカ型「フロンティアスピリッツ」をコンセプトとする北海道開拓を開始した。このことはかれの先進性あるいは先見の明を躍如とするものであり、誇ってもいい。
時代は数年経過するが、札幌農学校に招かれたクラーク博士もその流れの中で、ケプロンの招きに応じたものではなかろうか?
しかしながら、本来なら松浦武四郎と並んで北海道開拓の大恩人であるべき黒田は北海道開発の歴史に汚点を残した。「薩摩閥王国」を標榜し独裁政治をやり過ぎ、また開拓使官有物払下げ事件を引き起こし、世論の批判を浴びた。当然ながら評価はいっきに下落し惨憺たるものとなってしまった。内なる敵に負けたということだろうが、当時の政治家は平気で私腹を肥やしたりしていたのだろう。
<大沼へ>
大沼トンネルを抜けると、案内標識に従って車を右折させた。まず左側に小沼が姿を現した。
そして大沼へ。
電車で通過するときは、短時間とはいえ、あたかも左右に広がる湖面の上を疾走する感覚があってわくわくしたのだが、車ではその快感も得られない。とくに初夏は若木の緑の間に湖がキラキラと輝いて「これが日本だろうか?」などと一人で大げさに満足したこともあった・・・がこの日はすでに晩秋・・・。
大沼公園入口の路上に駐車し、そぞろに歩き始めた。土地勘はある。最上のシャッターポイントも押さえてある。
正面につんととがった駒ケ岳の頂上を見据え、紅葉した小島を背景に記念撮影の段取りは万全。「はい!チーズ!」で一枚。(非公開)
鴨が数羽、水際で湖面の揺れにたゆたいながら遊んでいた。
<観光遊覧船>
湖上からの景色を楽しむために観光遊覧船に乗ることにした。花曇と舞い上がる水蒸気のせいで湖面は茫洋としていて、景色にキレがない。

1133mの活火山・駒ケ岳も、そのなだらかな稜線に沿って白い雲がかかり本来の鮮明さを欠いている。
紅葉の鮮やかさが相殺されてしまうことを恐れたが、湖内に126もあるという小島を覆う紅や黄は十二分に輝いて見えた。
観光船は橋をくぐり小島の影を縫うように、大沼の中心部に向かって進む。

突然モーターボートが後から迫ってきた。
その余波が大きく船を揺らす。
左右の景観を眺めながらしばらく走って、どうやら沼の最奥部に到達したらしい。ぐるりと周囲を見回してみたが想像以上に広い。1周14`と記されていた。
船は静かに旋回を始めている。やはり湖面を吹く秋の風は冷たい。ブルッとふるえがきたので船室に引き上げることにした。ちょうど30分の観光船の周遊で、少しは大沼のことを知ることができただろうか?
<大沼の楽しみ方>
明治の初期からこれだけ時間をかけて大規模に開発されたリゾートだけにさまざまな楽しみ方がある。
ご同輩の皆様、大沼はけっしてプリンスホテルのゴルフとイカ(おいしい魚)だけではありませんぞ!一年中楽しめるリゾートの一端をご紹介。
- 究極のフィッシング「ヘラブナ釣」
- 大沼東岸でのファミリーキャンプ
- カナディアン・カヌーで湖面を滑るように大自然を満喫
- 駒ケ岳を仰ぎながら乗馬のトレッキング
- 大沼湖岸沿いを周回するサイクリング
- 子供連れでも登れる駒ヶ岳へのハイキング登山
- 夏のテニス
- 冬のスキーやスケート、ワカサギ釣もOK
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<紅・黄葉>
帰りは大沼の東岸に沿って北上し、5号線に出るルートを選択した。林の中に遊歩道が整備され、落ち着きのある湖畔を散策できる。木々はすっかり葉を落とし、騒がしい人は誰一人回りに見えず、まったき静寂の中にあった。(写真の人だけがなぜか独りいた?=他人ですよ!)


湖の北端から西に下り始めると、光景が一変した。
先ほどの寂しさは何処へやら、紅葉が今を盛りに華々しく競い合っている。
ブナやナラは黄色く、ウルシやヤマモミジ、ナナカマドは真っ赤に色づいて。この鮮やかさが欲しかった。もっともっと真っ赤な、ほとばしる血のような自己主張をして欲しい。それを期待してわざわざ北海道までやってきたのだ!
車を停めてしばらく見入ってしまった。
呆然として車をスタートさせたが、その先でさらにすごい光景を見てしまった。裾野を真っ赤に染める紅葉の上に、駒ケ岳が油絵のような威厳のある勇姿を見せ冷然とそびえていた。まるで「俺は怒っているぞ!」といわんばかりに・・・。

<続く>
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